「無理だなんて絶対に口にするな。限界は恐怖と同じで、大抵幻想でしかない。」
“Never say never, because limits, like fears, are often just an illusion.”
これはアメリカの元バスケットボール選手マイケル・ジョーダンの言葉です。彼はバスケットボールの神様とも称される人物ですが、「もうバスケットで証明するものはない」と述べてバスケットボール界を引退し、その後、野球界へと転向しました。
彼の言うとおり、限界や恐怖というものは、人間の思い込みに過ぎないように感じます。これは私の勝手な解釈ですが、彼の言葉から学ぶことは、限界というものは、自らが作り出した壁であり、本当はその壁の向こうに行ける能力はあるのに、自ら己の可能性に制限をかけてしまうことだと考えます。つまり、結局は自分次第だと。
手前味噌で恐縮ですが、私には、自身に制限をかけなくて良かったと思える人生のターニングポイントがあります。
それは、アメリカに留学したことです。
なぜ、アメリカへ留学したのかというと、きっかけはとても些細なことでした。それは私の高校時代のことで、ある日の英語の授業の時間に、アメリカのロックバンド「エアロスミス」の「I don’t want to miss a thing」という洋楽を聞き、「英語って格好いいな」と思ったからです。ただそれだけです。その曲に出会うまで、私は英語が苦手で、英語なんて大嫌いだと思っていたような人間だったのに。
そして、「英語って格好いいな」という思いが、「アメリカに行ってみたい」という思いへと成長しました。若さ故でしょうか。当時は言葉も分からない、行ったこともないからと言って、アメリカに行くことに恐怖を感じませんでした。渡米を決意した私は、両親にその思いを伝えました。父はアメリカの治安面を理由に反対しましたが、渡米賛成派の母の説得により、父からも許しを得て、晴れてアメリカの地を踏むことになりました。今でもふと思うのですが、父を説得してくれた母と、渡米を経済的に支えてくれた父には、感謝しきれないぐらい感謝しています。
ところで、当時の私は簡単な英語ですら聞けない、話せないという状態でしたので、アメリカの大学に入る前に半年ほど、現地の語学学校に通いました。また、語学学校だけでは英語の勉強は不十分と考え、最初の半年はアメリカ人のお宅にホームステイをしました。
運が良いのか悪いのか、ホームステイ先の家族は全員早口で、最初のうちは何を言っているのか全く分かりませんでしたが、今思うと、そのお陰で英語の習得スピードが速まったと感じます。そして、渡米後3カ月が経過したころから、相手の言っていることが分かるようになり、渡米してから半年後には、自分が言いたいことを英語で言えるようになったと記憶しています。
英語の習得以外に、アメリカに渡って良かったと思うことは多々あります。
例えば性格面の変化です。渡米前の私は、どちらかというと内向的な人間でした。しかし、言葉が分からない環境では、言葉が分からなくてもコミュニケーションをとろうとする姿勢が重要であることを学び、外交的な人間になりました。
また帰国後は、言葉が分からないことの大変さを知っているので、日本語が通じる日本では、言葉が通じるのだから何事も何とかなるだろうと、楽観的に考えられるようになりました。これらの変化は、渡米していなければ生まれなかったと思います。
そして、もう一つ良かったことを挙げるならば、自我(アイデンティティー)の確立です。渡米前の自分は、授業で意見を求められても「A君と同じ意見です」程度の発言しかしない人間でしたが、アメリカの大学で「自分の意見を自分の言葉で述べる」ことを叩き込まれたお陰で、社会人となった今、社内での会話であっても、お客様との会話であっても、自分の言葉で何かを伝えるということが出来るようになったと感謝しています。
また、この財務ネットのように、何か文章を書くような場面でも、アメリカの大学では他人の表現を盗む、つまり盗作はご法度と厳しく教えられた為、自分の言葉で認めることに抵抗がありません。昔、とある本で、「本当の教育は頭に残ることではなく、心に残ることである」という言葉を目にしたことがあります。まさにそうだと思います。
両親の支えがあったからというのは大前提として、あの時、渡米に恐怖を感じていたら、言い換えれば、自分で自分に制限をかけていたら、今の自分はありません。あの時の渡米という決断とその実行は正しかったと思っています。
冒頭のマイケル・ジョーダンの言葉の通り、限界というものは恐怖と同じで、幻想に過ぎないのでしょう。公私問わず、限界という名の幻想は払拭し、更なる高みを目指していきたいです。